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「東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命」を読んで(『鶯乃声』平成28年2月号掲載)

以下の原稿「『東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命』を読んで」は、宗教法人念法眞教機関誌『鶯乃声』平成28年2月号に掲載されたものです。



 
大阪大学名誉教授・彩都友紘会病院長
中村仁信

はじめに
 広瀬隆氏が著した「東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命」(ダイアモンド社)を手に取ってみた。「これから日本で何が起こるかを予測してゆきたい。はっきり言えば、数々の身体異常と、白血病を含む癌の大量発生である」とある。
 同書の論拠になっているのは、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の予測で、それによれば、「福島第一原発から100キロ圏内では、今後50年間で19万1986人が癌を発症し、その内半数以上の10万3329人が今後10年間で癌を発症する。それより遠い100~200キロ圏内では、今後50年間で22万4623人が癌を発症し、そのう内半数以上の12万894人が今後10年間で癌を発症する」と言う。更に、日本の高い人口密度を考えると200キロ圏内で50年間に40万人以上が放射能によって癌になる、としている。そして現実に、福島県内では18歳以下の甲状腺癌の発生率が平常値の70倍を超えていると指摘する。
 又、広瀬氏は、ECRRを信頼し、その予測を鵜呑みにする一方、国際原子力機関(IAEA)、国際放射線防護委員会(ICRP)を巨悪と呼び、IAEAもICRPも軍需産業によって生み出された原子力産業の一組織であって、彼らの定める安全基準値は医学とは無関係であるとまで言い切っている。広瀬氏からみれば、原爆と原発は双子の悪魔であり、原水爆も原子力発電も黒幕である国際的な金融支配者と軍需産業が支配し、その危険性を隠しているということになる。
 私自身、原水爆や軍需産業についての知識は乏しいので、本稿では、放射線科医として、元ICRP委員として、幾つかの項目について、この本の誤りを指摘したい。又、ICRPの勧告に沿った話をしているだけで一方的に悪者にされている山下俊一先生、中川恵一先生、長滝重信先生たちの名誉のためにも、科学的に正しいことを述べたい。

 
 
1.ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)とは 
 広瀬氏はECRRについて、単なる市民団体ではない、最も信頼するグループであるとしているが、実際にはベルギーに本部を置く市民団体に過ぎない。1997年の設立の経緯において、欧州議会に議席を持つ「欧州緑の党」の決議と関連しているが、広瀬氏が書いているような、欧州議会が認めたものではない。むしろ、内部被曝のリスクに関してICRPの考えを採用すべきとする欧州議会の審議にECRRは異議を唱えている。
ECRRの主張は、放射線は極低線量で影響が大きい(図1)、同じ線量でも低線量を長期間にわたって受ける方が影響が大きい、ICRPは内部被曝を含む慢性被曝の影響を過少評価しているなどで、ICRPと真っ向から対立する。
 しかし、ECRRの主張は、現在の放射線生物学、放射線影響研究の常識とはかけ離れており、まともな科学者の支持はない。線量率効果(同じ線量なら一度の被曝より慢性被曝の方が影響は少ない)が認められ、低線量ほど損傷修復が速いことは多くの研究から明らかである。英国健康保護局(Health Protection Agency)は、ECRR勧告を批判し、ECRRを公的機関と関わりのない独自(self-styled)の組織とした上で、「恣意的であり、十分な科学的根拠を持たず、ICRPについては多くの曲解が見られる」としている。
 ただ、ECRRが恐ろしさを誇張する内部被曝については、内部被曝の線量評価が必ずしも容易でないことが、ECRRの言いたい放題につながっている。内部被曝については後述するが、反原発派の今中哲二氏(京都大学)さえ、「何でもかんでも“よく判らない内部被曝が原因”となってしまう、ECRRのリスク評価には付き合いきれない」と述べている。

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図1 ECRRが主張する2相的線量応答(ECRR 2003年勧告)
    極低線量の人体影響が極めて大きいとする仮説。科学的な証拠はなく、
低線量ほどDNA損傷の修復が速く完全に行われるという実験結果
(PNAS 109:443-448, 2012)と矛盾する。
 
 
2.10年で10万人以上の癌死の根拠は?
 ECRRのいう10年で10万人以上の癌死という予測には、どんな根拠があるのだろうか。ECRRの科学セクレタリーであるクリス・バズビーは、福島で講演して回り、多くの人に恐怖を与えたが、参考文献としているのが、2006年のマーチン・トンデルの論文である。即ち、チェルノブイリ事故により大気中に放出されたセシウムが風に乗って流され、スウェーデン北西部8郡の線量が増加した。同地区の住民113万人の調査で1988-1991年の間に有意な癌発生が認められた。トンデルは最大4ミリシーベルト/年のセシウムが原因と考えたが、事故後2-10年の調査では潜伏期(固形癌では10年)に比して短すぎるため、癌化の第2段階である促進作用に被曝が影響したという仮説を立て、論文に「?」を付けた。何れにしても、僅か年4ミリシーベルトで癌が増えるというのは衝撃的な報告であり、注目された。ECRRのクリス・バズビーにすれば、おあつらえむきの論文であり、トンデル論文の題名に付けられていた「?」を消し、確実な証拠として世界中に宣伝したのである。
 しかし、その後も調査を継続したトンデルは、2011年に新しい論文を発表し、「明白な、そして期待したような、直線的な被曝と癌発生の関係は見出せなかった」と修正している。もともと2006年論文でも、癌発生が増加したのは最初の4年間だけで、その後は増加していなかったので当然の結果であるが、一時的にせよ、癌が増加したのはなぜか。地域における人口密度の増加がその要因であると、トンデル自身が述べている。
 バズビーはその強引な手法によって世界中をかき回し、多くの研究者を辟易させているが、放射線の恐怖を煽る一方、被曝に効くという高価なサプリメントの販売に関与していると聞く。

 
 
3.福島県内での甲状腺がん(18歳以下)の発生率
 瀬氏が平常の70数倍に増えているという18歳以下の甲状腺癌発生率はどうなのだろうか。広瀬氏は、国立がんセンターがん対策情報センターのデータから、事故前の35年間で19歳以下の甲状腺癌は10万人当り年間0.175人なので、福島の発症率10万人当り年間12.7人(執筆当時)は72.6倍になるとしている。
 福島県内で実施されている県民健康調査の報告によれば、2011年から2015年にかけて甲状腺検査を受けた18歳未満の子供約37万人の内、126人が悪性又は悪性疑いと診断され、その内103人が手術によって甲状腺癌と確定した。癌の大きさは5~45 mm(平均14 mm)で、100人が乳頭癌、3人が低分化癌であった。広瀬氏の執筆時より更に増えている。
 原発事故の放射線によって、小児の甲状腺癌は本当に増えたのだろうか。県民健康調査をみると、原発事故後、調査が始まった2011年には41,810人の内15名、2012年には139,338人の内52名、2013年には118085人の内32人が手術を受け、手術例は1名を除き、癌であった。10万人当りにすると、2011年35.8人、2012年37.3人、2013年27人の癌が見つかっている。原発事故から1年も経たない内にこれほど高頻度で発癌するとは、医学の常識では考えられない。多くの癌は発見まで10~20年かかる。原爆被曝者の調査でも、甲状腺癌を含む固形癌は、10年以上しないと増えてこない。又、チェルノブイリでは事故当時1~5歳だった子供(この期間はヨウ素の取り込が多い)に甲状腺癌が出てきたが、福島では1~5歳児には増えていない。これらの数字を見て、放射線で甲状腺癌が発生したと思う医師はいないであろう。
 そもそも、100万人に1~3人という医学書の記述や国立がんセンターのデータというのは、子供の甲状腺を超音波で調べた結果ではない。頚部の腫脹や違和感があって病院に行き、診断された頻度と推測される。福島では、超音波で詳しく検査した結果、何の症状もない、多くの小さな甲状腺癌が発見されたと考えるのが理に適っている。それなら、全国どこでもこれほどの高頻度で甲状腺癌が見つかると言うのか、という反論が来そうだが、答えはイエスだ。それを示唆する貴重なデータがある。
 韓国では超音波による乳癌検診を10年以上前から行っているが、超音波では甲状腺も同時に簡単に見ることが出来るので、乳癌検診と同時に甲状腺癌の検診も行った。その結果、この10年で急激に甲状腺癌の件数が増え、2011年では10万人当り113.8人となっている(図2)。大人の女性の頻度ではあるが、超音波検診を行ったために見つかった頻度は、福島よりずっと高い。子供の頻度ではないが、甲状腺癌は普通の癌とは違う。甲状腺癌の多くは、乳頭癌という種類で発育は極めて緩徐、特に若い人の乳頭癌は予後がいい。乳癌検診を受ける年代の女性に見つかった甲状腺癌の多くが、18歳以下の時点で既に存在していても不思議ではない。因みに、甲状腺癌は天寿癌とも言われ、亡くなられた方を解剖すると10人に1人以上、10万人なら1万人以上に見つかる計算になる。福島の甲状腺癌が異常に多い訳ではないのである。

         
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                図2
 
 
4.内部被曝について
 ECRRが強調し、広瀬氏が受け売りしているのが、内部被曝の恐怖である。放射性物質が体内に長い間留まり(長期性)、濃縮する(濃縮性)、どこにどれほど蓄積するか判らないので実際の被曝量は測定不可能だという。そして、この内部被曝危険性はIAEA、ICRPによって無視されてきたということになる。
例えば、放射性ヨウ素のことを考えてみよう。物理的半減期は8日、排出される分(生物学的半減期)があるので、有効半減期は6.5日である。甲状腺機能亢進症(バセドー病)や甲状腺癌の治療で放射性ヨウ素を飲んでもらうので、体内動態はほぼ判っている。どのくらいの放射線量かというと、甲状腺機能亢進症の治療では3.7億ベクレル、甲状腺癌では37億ベクレルが体内に入る。甲状腺の診断だけでも220万ベクレルが使われる。
現在の食品中の放射性物質基準値100ベクレル/Kgが余りに危険すぎる(国際基準は1000ベクレル/Kg)という広瀬氏は、甲状腺検査だけで放射性ヨウ素が220万ベクレル投与されると知れば、何と言うのだろうか。220万ベクレルは勿論、37億ベクレルが体内に入っても、何の問題も起こっていない。追跡調査においても、発癌は認められていない。むしろ、100ベクレル/Kgは余りに厳しすぎるので、1日も早く国際基準に戻すべきであるのだが、広瀬氏のような考えのために迷惑しているのは福島の人たちである。
広瀬氏はベクレル(放射線を出す能力)からシーベルト(放射線影響を示す実効線量)への換算式は誤っている、どこにどれほど蓄積するか不明なので換算できないという。換算して出てくる数値よりずっと怖いと言いたいようだ。換算式が正しくないというのは、私も同じなのだが、私は逆に、今の換算式では放射線影響が過大評価になると思っている。
内部被曝の計算方法では、体内に放射性物質を摂取した時点で、半減期、体内分布を考慮した上で、一般では50年間、乳幼児は70歳になるまでの線量の累積が実効線量(シーベルト)として算定される。これは預託実効線量という考え方で、放射性物質を摂取した時点で50年分の被曝に相当する線量を被曝したものとする。しかし、古い換算式なので、放射線の影響(DNA損傷)が修復されるという概念が入っていない。修復される分を差し引くと実際の影響はずっと少なくなるので、過大評価されていることになる。
因みに、放射性ヨウ素3.7億ベクレルは、換算すると8シーベルト、37億ベクレルでは80シーベルトになる。8シーベルトの全身被曝は人が100%死ぬ量であり、80シーベルトは組織が壊死してしまう量であるので、計算方法の誤りは明らかである。
セシウムについて言うと、セシウム137(半減期約30年)とセシウム134(半減期2年)がほぼ半分ずつ放出されたが、134の放射線量は137の2.7倍強く、測定されるセシウムの73%は134によるものである。その134の物理的半減期は2年ですから、セシウム134+137の合計線量は何もしなくても、1年で22%、2年で38%減衰し、3年で半分になる。セシウムイコール半減期30年として長期性が強調されるが、実際にはもっと早く減ってくれる。
セシウムの内部被曝による預託実効線量も同様に過剰評価になっていると考えられる。例えば、体内に入ったセシウム137の内部被曝が50万ベクレルであるとすると、その預託実効線量は50年分の累積計算で6.5ミリシーベルトになるが、修復されることを考えると、外部被曝であるCT被曝の6.5ミリシーベルトより影響は少ない。内部被曝の方が外部被曝より影響が何倍も大きいというのは誤解である。
又、食品などから体内に入ったセシウムは筋肉に蓄積されるが、筋肉細胞は分裂・増殖しないので、癌が出来る可能性は殆どない。実際、福島の10倍のセシウムが放出されたチェルノブイリでは、セシウムを吸着した野生キノコを食べた住民から500から5万ベクレルのセシウムが筋肉中に検出されたが、筋肉の癌は見られておらず、広瀬氏が心配するような“セシウムが濃縮して生ずる全身の肉腫”が発症する懸念はない。
 
 
5.ICRPの元委員として
 ICRPは、1928年の第2回国際放射線医学会議(ICR)において設立された「国際X線及びラジウム防護委員会」に端を発し、1950年に独立してICRPとなった。各国を代表する放射線防護の専門家が無報酬で参加し、活動資金は、放射線防護に関心のある多くの機関からの寄付と出版物の印税で賄っているが、寄付の条件として、ICRPの独立性の尊重及び活動計画・委員選任への不介入がある。私は、1997年から2000年まで第3委員会(医療放射線防護)委員を務めたが、厳正な中にも自由闊達な討論が行われ、広瀬氏が思っているような、誰か黒幕が操っているような会議ではない。広瀬氏が言うように、“怪しげな安全基準”を作り、放射線の危険性を隠蔽しているなら、1950年以降、次々に線量限度を引き下げていったのはなぜだろう。一般公衆の年間許容限度では、1954年15ミリシーベルト、1977年5ミリシーベルト、1985年1ミリシーベルトと引き下げられたことは、広瀬氏も本に書いている。ICRPが原子力産業を守ろうとする悪の組織であれば、そのようなことをするだろうか。
 又、このような重要な変更においては、ICRPは世界中の有識者からパブリック・コメントを募る。実際、年1ミリシーベルトは余りに低く、意味のない数値だと多くの関係者が思っており、引き上げが試みられたことがあったが、成功しなかった。
 線量限度に限らず、ICRPの立ち位置は、私からすれば、安全側に寄り過ぎている。慢性被曝のリスクは急性被曝に比べて、2分の1~10分の1(動物実験から)と考えられるが、ICRPは安全側に立って2分の1と多めに評価している。
ついでながら、小中学校の屋外活動を制限する線量限度が年間20ミリシーベルトと決められた時、年間1ミリシーベルトを主張して涙ながらに内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘氏(当時東大教授)も元ICRP委員である。

 
 
おわりに
 震災直後から4年間、福島第一原発20km圏内の人々を中心に線量調査を続けてこられた高田 純教授(札幌医大)によると、福島県全体で8万1千人を超える住民の体内セシウム検査の結果、1ミリシーベルトを超えたのは26人、最大で3ミリシーベルトであったとのことである。
 広瀬氏が何と言おうと、この程度の線量では、フクシマ原発事故に起因した放射線発癌は考えられない。
 広瀬氏に限らず、放射線怖い派は、放射線によるDNA損傷、特にDNA二重鎖切断(DSB)は修復されないと思っているようだが、近年の研究(PNAS 2005;102:8984、2012;109:443)によれば、CT検査後の個人を採血して調べた結果、DSBは効果的に修復され、バックグラウンドのレベルに戻ったと報告されている。
 CTでは5~20ミリシーベルト程度の被曝があるが、この程度のDNA損傷はすぐに元に戻るということである。